商品コード:1416-033n[ETERNA] V.ノイマン/ ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集/第1集Op.46~1-4番, 6番 8番, 第2集Op.72~1番&2番
商品コード: 1416-033n
商品詳細:コンヴィチュニーが1962年に亡くなった後、1964年からチェコのノイマンがゲヴァントハウスo.のカペル・マイスターに就任。これはそれ以前の1958年頃の客演録音。V.ノイマン指揮ゲヴァントハウスo.としては最初期の録音である。ヴァーツラフ・ノイマン(1920 - 1995)はチェコ・プラハ生まれの指揮者。プラハ音楽院でヴィオラを学ぶかたわら、同時に指揮をヴァーツラフ・ターリヒに学んだ。在学中から音楽院内の弦楽四重奏団でヴィオラ奏者を務めた。1945年にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団(以後「チェコ・フィル」と略記)のヴィオラ奏者となる。同じ年に音楽院時代の弦楽四重奏団がスメタナ弦楽四重奏団として正式にデビューした。1947年、当時チェコ・フィルの首席指揮者であったラファエル・クーベリックが急病となり、その代役として指揮者デビューを果たし、これ以後指揮に専念する為スメタナ弦楽四重奏団を退団した。さらに、1948年にクーベリックが共産党支配体制に反発し祖国を離れるとチェコ・フィルの常任指揮者となった。1950年、クーベリックの後任にカレル・アンチェルが就任すると同楽団を離れ、ブルノ交響楽団、プラハ市交響楽団で指揮を執り、その後活躍の場を東ドイツに移す。1957年から1964年までベルリン・コーミッシェ・オーパーの首席指揮者、1964年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督およびライプツィヒ市の音楽監督に就任し1968年まで務めた。フランツ・コンヴィチュニーの後任であった。1968年、プラハの春にソヴィエトが介入するとアンチェルはカナダに亡命、ノイマンはその後任としてチェコ・フィルの首席指揮者に就任し、祖国に戻った。ノイマンはこのETERNA時代が彼の黄金期といえる。多くの名演をETERNAに残している。ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集の全曲録音はないが1958年頃抜粋8曲入りのモノラル録音(当盤)と1966年に抜粋6曲の新録音(モノラル/ステレオ録音)がある・両者はダブらない。これは初回モノラル録音でノイマンのスラヴ人である感性が爆発した秀演。颯爽としたテンポで勧める爽快な演奏である。モノラル録音だが音質は悪くない。ノイマンはチェコに帰った後でSUPURAPHONの全曲録音を2回行っている。これがノイマンによるスラヴ舞曲集の原点となった録音。
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